2007年8月8日 山田清彦撮影
岡山県の人形峠付近で掘り出したウラン残土を放置していたことがありまして、それを放置された地域の住民との約束を動力炉核燃料開発事業団が交わした協定書がありました。
盛り上がった場所の下がウラン残土の一部 2007年8月8日 山田清彦撮影
90年8月31日、動力炉核燃料開発事業団(動燃)と方面(カタモ)自治会との間で、「ウラン残土の撤去に関する協定書」(以下、「協定書」)を締結することになる。
「協定書」には以下のように書かれている。
「乙(動燃)は、方面1号坑及び2号坑のウラン鉱帯にかかわる残土を全量撤去する。
鉱帯部分の残土を全量撤去した段階で乙と甲(方面自治会)はその後の残土の取り扱いについて協議し、乙は甲の意見を尊重の上対処する。」(括弧内は、小出)
そして、「ウラン鉱帯部分」については、添付された「覚書」に、「ウラン鉱帯部分の堆積量は、約3,000m3と推計される」と記されている。
撤去の時期については、「協定書」に「ウラン残土の撤去は、関係自治体の協力を得て、「米」「梨」などの収穫期までに着手し、当協定書(覚書、確認書を含む)を遵守の上、一日も早く完了するものとする」
ここに「米、梨などの収穫期までに着手し」とあるのは、せいぜい1~2か月の間に撤去して貰いたいという願望が込められていると思われる。だが、この約束が果たされるように最高裁で確定するまで14年以上かかった事実があります。しかも、下記引用したニュースを見れば、その約束が果たされていないのです。
2005/10/08 原子力情報室の『通信』より 引用します
核燃料サイクル開発機構・人形峠ウラン残土を米国にも放置
核燃料サイクル開発機構(核燃機構)が、鳥取・岡山県境の人形峠周辺に放置してきたウラン残土の一部をアメリカで「製錬」するため、輸送を開始した。この残土はほとんどが1950年代末~60年代の原子力開発の当初、国策として実施されたウラン鉱の探査・試掘によって発生したものだ。しかし人形峠や東濃鉱山(岐阜県)で試掘された鉱石が含むウランの量は非常に少なく、国内でのウラン開発は放棄された。一方発生した大量の残土は、ほとんどが野積みの状態で約50年間放置されてきた
人形峠周辺では12地区でウランの探鉱・試掘が行なわれた。この残土の問題が公になったのは1988年夏である。裏山の残土に、ウランやその崩壊によって生じるラジウム、ラドンなど各種の放射能を含む鉱石が混じっていたのである。表は約45万m3(約100万トン)と推定される残土の量と残土の放射線量(1988?89年測定)だ。低いほうの動燃の測定値を見ても、一般人はもちろん原発労働者でも許されないような高い値が測定されている。さらにこれらの残土から放射能の崩壊によって気体のラドンが発生し空気中に放出されている。ラジウムは骨ガンや肺ガン、ラドンは肺ガンの要因となる。しかし当時の原子燃料公社は、地域の人々にこのような危険性を何も知らせず、残土をそのまま放置した。
方面(かたも)地区ではウランの採掘作業に地域のほとんどの人が従事したという経緯や、残土の放射線量が非常に高いこと、集落と残土堆積場が非常に近く谷づたいにラドンが居住地域に流れ込んでいることも確認され、自治会として残土の「全面撤去」を要求した。しかし動燃はウラン残土を「捨て石」と呼び、安全性に問題はないと一貫して主張してきた。1990年には自治会と動燃が「ウラン残土約3000m3の撤去協定」を結んだが、移送先がないことを理由に協定は実行されていない。
状況は2004年10月、最高裁で自治会の主張が全面的に認められたことによって変わった(裁判の経過等は年表参照)。残土の発生者として核燃機構=国の責任が問われたのである。それでも撤去に応じない核燃機構に対して、今年3月11日から1日75万円の制裁金が科せられ、制裁金の累計は1億4325万円に達し、「税金の無駄使い」と非難が出た。そのため核燃機構は、突然「捨て石」を「ウラン鉱石」だと言い出し、製錬のためにアメリカに輸送するというのである。
「製錬」されるのはわずか290m3で、撤去対象約3000m3の10分の1に過ぎない。製錬される粗悪な「ウラン鉱石」も事実上ほとんどが再びウラン残土となることは確実で、今度はアメリカで放置される可能性が高い。製錬と輸送に約7億円が予定されているが、これはウラン残土をアメリカに捨てる代償である。残りの2710m3にも2006年6月1日から1日5万円が科せられる。この残土の対策も何も決まっていない。さらに人形峠で生産された約80トンのウランが残した全体で約45万トンの残土対策もない。
問題は何も解決していない。無策を重ねた末、他国にウラン残土を捨てるという破廉恥な行為を行なう核燃機構と国の無責任は犯罪的だ。しかし実は、私たち日本人はすでに同じようなことを世界中で行なっている。日本の原発のウラン燃料のために、カナダ、オーストリア、南アフリカ等々のウラン鉱山に、人形峠と比べようもない膨大なウラン残土をうち捨てていることも忘れてはならない。(澤井正子)
山田の追記:日本の電力会社が英仏の再処理工場に再処理を委託した結果、現地の住民たちに多くの健康障害を与えてきたことを私たち日本人が痛みに思ったことがあるのだろうか。
現地の悲惨な状況見て、電力会社は原発の運転を止めるという選択をしなかった。また私達はその事実を知らされなかったが、原発の電気の恩恵を受けてきた事実がある。
そして、六ヶ所再処理工場の操業に伴って英仏現地での健康障害が再現しないことを望むのは虫のいい話しであるだけでなく、それは無理なことである。フランスの再処理工場の技術で作られた再処理工場が、フランス人の健康障害の犠牲の上に改善されたものではないのだから。
なぜなら、六ヶ所再処理工場は世界で最後の湿式再処理工場であり、それ以降につながる技術が集積されたものではない。次の再処理工場は乾式が主流(韓国のタイプ)であることがそれを示している。
ウラン残土の搬出準備の現場を20078月8日に山田清彦が撮影した写真を掲載します。
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